つばの黄色いスニーカー

一度も会ったこともないあの人は、実はとても身近な人かもしれない。自分の足元だけ見て生きている時、わたしもあの人を不幸にしている、犯人かもしれない。

かすかでも、たしかにある

2019年3月

福島県南相馬

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震災3年後の2014年から
南相馬に来て小高区で片付けのお手伝いをし、
宿は鹿島区の民宿にお世話になっていた。

と言っても、毎回、ほんの数日だけだけど。

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最近はただ観光して、
民宿でのんびりして帰るのが恒例になっている。
(小高では避難が解除になったので。もう少し詳しく過去の記事に書いています。http://tsubablo.hateblo.jp/entry/2018/05/21/145648)



そして今年、

はじめての感覚に、はっとした。

表現があってるのかわからないけど
それは、「人のにおい」みたいなもの。

ただ人が歩いているとか、
お店が増えたとかではない。

人の感情がともなっているような、におい。

しかし、圧倒的に人は少なく、
空き地や空き家はたくさんある。
このとき私がはじめて小高に来たとしたら、
ひと気の無さに愕然とするだろう。


でも、このとき感じた「それ」は
かすかでも、たしかにそこにあった。


というのも、
その日はまちのコミュニティスペースで
イベントが開催されていたのだ。

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1月オープンしたばかりの小高交流センター

この小高交流センターには
定期的にマルシェを開催したり
室内で子どもたちが遊べる設備がそろっていた。

小さい子どもたちが遊んでいる。
それをお父さんやお母さんが見守っている。

何やらせわしなく小走りしているおばさん達。

少ない飲食店は、笑顔と活気にあふれていた。

明らかに人が少ないとしても、

人と人の間にただよう「人のにおい」

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もとの人口の1割くらいしか
住民票を戻していなかった昨年の4月。
わたしの目には、ずっとその時の小高にしか
見えていないのだろう。

少しずつ、変わってきたのだろうか

と、思った。


小高で立ち寄ったところで、
この日のイベントのことを
笑顔で話してくれた男女がいる。

県外の学生が演奏をしに足を運んでくれたと言う。
素敵な時間で、思わず泣いてしまったと、
女性は今にも泣きそうな顔で言った。

喜んでいるような、
悲しそうにも見える表情だった。


今年の4月には、小高に住む住人は
2割か3割ほどになる見込みだと
千葉から移住してきた男性が教えてくれた。


私は、え、と思った。
一年でそこまで変わるものなのかと。


ーーと言っても、除染業者の人たちがこっちに移り住んでたり、避難している人たちは住民票をこっちにそのまま残している人たちもいるけどね。増えてきている一番の理由は、避難先の仮設住宅が打ち切りになったことだと思うけどーー



わたしのような、縁もゆかりもない外の人間は
つい数字だけで判断してしまう。

ひとこと目を聞いて、
「あ、そんなに帰ってきてるんだ」
そう思ってしまう。



たしかに、

小さな声を届けるためには数字を出して
「こんなにも多くの困っている人たちがいる」
と主張しないといけないときがある。

でも、時にそれは
大事なものを見えなくすることもある。

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歩道橋から見た小高駅。線路も津波で浸水し、写真左側は何もない更地状態。



小高駅前すぐには、

モニタンリングポストはもちろん
放射能測定所も、駅から出てすぐにある。

そこから少し直進したら小高交流センターがある。
子どもの遊び場だけではなく
大人が体を動かすジムに近い部屋や
カフェスペースも。

その一角には、
小高の歴史を伝える資料や模型が並んでいた。

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日々、目の前に横たわる『事実』

『答え』なんて、そんな安易なものは
ここには存在しない。

あるのは事実だけ。

わたしだったらどう生きるのだろう。


完全に「生活」と切り離されたような
まちに感じた5年前。


この日、カフェスペースにある
小高の資料や模型を見ていて、

「歩みをすすめて」
「復興にむかっている」

というようなメッセージが
こめられていたように感じた。


たくさんの人を置き去りにしてはいないだろうか

私ですら、その流れに身をまかせられないでいる。


一方で、

ここで住むための「安心感」をつくるため
力を尽くしている人たちの存在を
ひしひしと感じた。

ここにある、
かけがえのない命ひとつひとつが
なぜこんなにも強く感じられるのだろう


いつまでもあの5年前と比べ続けることは、

このまちで生きている人たちに
とても失礼なことのように感じた。


そう、そうなのだけど。

でも、やっぱりわたしは、
ふと目を向ける。



6号線沿いを走ると、
汚染土を入れた袋を積み上げている土地は
突然現れる。

場所によっては、
「ようこそ南相馬へ」などの言葉や
相馬野馬追の絵が描かれたついたてで
囲いがされていた。

人の息づかいを感じた地から
少し足をのばしたところには
この殺ばつとした光景が目にはいる。

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わたしの心を締め付ける。

目をそむけたくなる景色は、すぐそこにある。



もしかして

いや、あるはずだ、と。

まるで間違い探しをするように
わたしの目線は動いているのではないか。

原発事故の大きな影響を受けたまちが
そう簡単に豊かになってはいけない

そんな風に思ってはいないだろうか。


家の片付けを手伝ったお宅で、
おいしい味噌汁をだしてくれたおばあちゃん。

とってもとってもお世話になっている
民宿のおばちゃんは、

南相馬の人たちを集めて
手作りのものを県内外で販売し、
たくさんの人たちに
大好きな南相馬に来てほしいと願っている


誠意をもって接してくれた人たちに
申し訳なくなってくる



居心地の悪さを感じた。
今のわたしはここにいるべきではないと思った。


いてもたってもいられなくなり
早く家に帰ろうと、駅へと足をむけた。



つづく。

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