つばの黄色いスニーカー

一度も会ったこともないあの人は、実はとても身近な人かもしれない。自分の足元だけ見て生きている時、わたしもあの人を不幸にしている、犯人かもしれない。

上映会を終えて

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『1/10 Fukushimaをきいてみる』

10/6大阪・10/7京都ともに
たくさんの方にお越しいただきました。

東京から来てくださった監督、
佐藤みゆきさん、庄司さん、
佐藤さんを待ってくれた赤ちゃん。
会場を貸してくださって、
当日も走り回ってくださったみなさん、
無茶ぶりも全てやってくれたお手伝いのみんな。

「当日は行けないから」とご支援いただいたみなさん
そして、当日に足を運んでくださったみなさん。

本当にありがとうございます。
みなさんが一人でも欠けていたら、
あの、優しくて、静かに化学反応が
起こっているような空間にはなりませんでした。

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さて、わたしの上映会への思い、
当日は頭がパンクしてて話せませんでしたので、
ここで書かせていただきます。

長いですが、お付き合いくださいませ。




この映画を上映するにあたって、
いろんな人に声をかけたり、
いろんな所にチラシを置いてもらったりしました。

そんな中で、わかっていたつもりだったものの、
「福島への関心は本当に薄れている」
と、本気で心配になりました。
それくらい、福島の現状に対する反応は、
数年前とくらべて大きく異なっています。

過去の職場で、定期的に福島に行くわたしに、

なぜそんなことをしているのか意味がわからない

という言葉をかける人がいました。

こんなことを言う人もいるのか~、と
深く考えてませんでした。

でも、ここ1ヶ月ほどは、その人の言葉が
何度も頭の中をよぎりました。
むしろ、あのような考えの人のほうが
多いのではないか?と。

福島にいる◯◯さん、
避難を続け故郷に思いをはせる◯◯さん、
権力に立ち向かう人たち、
様々な手段で子どもたちを守ろうとする人たち、
夏になったら関西に来てくれる福島の子どもたち。

わたしは一部の◯◯さんたちしか知らないくせに、
宣伝がうまくいってないと感じるたびに
◯◯さんたちを思い浮かべては、申し訳なくなる。

『意味がわからない』と
目の前で言っていたあの人に、
何も言えなかったふがいなさ。

でも、当日になって、
たくさんの方が来てくださいました。

映画に出演する話し手の声を吸収して、
怒りでもない悲しみでもない、もやもやのような、
でも知ることができたという喜びをまといながら、
感慨深い顔つきで帰っていくみなさんの姿。

その姿を見て、
やっぱり『7年しかたっていない』のだと、
再確認しました。

何も、終わってないんだと。

本当に開催して良かった。

でも、「良い映画だったね」で終わるのではなく、

上映会に行くという一歩の先に、
ひとりひとりがどんな思いを抱き、
どんな行動が発生するのか。
わたしはそれが一番大切だと思います。

行動と言っても、
福島に行くだけが行動ではありません。

「知る」場に出向く、
身近な人に映画の話をする、
当たり障りのない福島に関してのニュースを
もっともっとよく見てみる。
そして、自分の過去と今を見直してみる。

7年前のあの頃、
心配したりソワソワしたり絶望したり、
いろんな気持ちが全国で交差していました。

自分のしたいことに向き合うひともいれば、
生き方を見直す人、
大切な人を大切だと再認識するひと。
「あ、そういえば・・・」と、
あのときを思い返してくれたら。

そんな思考や行動が
自然に発生したらいいなと願っています。


最後にもう一度。
わたしの大好きな人たちに手伝ってもらって
わたしの大好きな人たちもたくさん、
観に来てくれて、はじめましての人にも
たくさん出逢いました。
大切な人たちと大切な感覚を共有したあの時間。
本当に感謝です。

絶対、来年も開催します。
ぜひ、お友達も連れてご参加ください!!

ではでは、また来年~(^^)人(^^)

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