つばの黄色いスニーカー

一度も会ったこともないあの人は、実はとても身近な人かもしれない。自分の足元だけ見て生きている時、わたしもあの人を不幸にしている、犯人かもしれない。

かすかでも、たしかにある【続編】

かすかでも、たしかにある
http://tsubablo.hateblo.jp/entry/2019/05/24/195031

一年の時を経て(笑)、続編を書きたくなりました。

 

思えば、あれから堰を切ったように、わたしは福島県へ行っていました。

あの記事のつづきに書きたかったこと、それは何とも言えない虚しさ、悔しさ、そして深い水の中に射す光のような感情。それらを言葉にあらわしたかった。

 

でもあの時のわたしにはできなかった。

今さらのような気がするけど、気分屋の極みです。気が向きました。

ちょっと、やってみます。

 

 

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大好きな南相馬を歩いていたのに、みるみるうちに居心地が悪くなったわたし。

 

「帰ろう」

 

そうつぶやいて電車に乗るとき、わたしの胸の中ではこれだけでは帰られない、という欲がわいていました。

 

2011年の東日本大震災原発事故によりJR東日本常磐線は一部電車が通っていない時期がありました。(2020年、全線開通しましたね)

2017年にも一部開通したんですが、それからはまだ電車に乗っていなかったわたしは、小高以外にもまちを周りたいという気持ちがありました。

 

富岡町を歩きたい」

 

その日は、富岡駅が開通してからはじめての3月11日だったのです。

 

とは言いつつ、どうも気が向かない。

いや、町に歓迎されていないような気すらした。

 

救急車やパトカーが停まっているところに集まる野次馬のようにも感じるし、芸能界から干されて変わり果てた芸能人をスクープして見せつけるような行為にも感じる。

 

ーーーそして今年、はじめての感覚に、はっとした。

表現があってるのかわからないけど
それは、「人のにおい」みたいなもの。

ただ人が歩いているとか、
お店が増えたとかではない。

人の感情がともなっているような、におい。

しかし、圧倒的に人は少なく、
空き地や空き家はたくさんある。
このとき私がはじめて小高に来たとしたら、
ひと気の無さに愕然とするだろうーーー

 

「かすかでも、たしかな光」前編にもあるように、

たしかに目の前に存在する命という光を素直に受け止めず、郊外に足を向けるわたしは、自分のもとめている現実を、探し求めているかのようだった。

 

そして、やはり、好奇心に負けて、仙台経由でなら真っすぐ帰られるにも関わらず、富岡駅を経由するルートを、わたしの体は選択していた。

 

富岡駅まで電車が通っていなかったので、代行バスに乗り込む。

 

バスに乗車したとき、人の多さに呆然として一瞬足が止まった。

 

きっと、いや、絶対、わたしと同じように「好奇心」で訪れた人たちだ。

 

JRの観光バスを使っていると思われる代行バスは普通の路線バスよりも大きく、座席数も多い。

いつもの代行バスなら、乗車するのは数人で、しかも利用するのはせいぜい通学する高校生くらい。座席はすっからかんのはず。

 

この日は月曜だった。

 

代行バスの中には、我先にと、窓際の席を早い者勝ちで占拠していく中年の男たち。

 

案の定、一番後ろの真ん中の席にわたしがやっと座れたときには、男たちは各々カメラを準備していた。

 

気持ちは痛いほどわかる。

 

なぜなら、福島県浜通りの地域は、駅の周辺のような公的な場所はキレイに整備されている反面、それ以外はまだまだ「荒れ地」のまま、まさに手付かずの場所がほとんどだった。

 

一目でわかる空き家ばかり、お店の看板も建物も朽ちて、今にも崩れてしまいそう。

 

写真の撮りがいがあるとは、まさにこのこと。

 

この中には記者の方もおられるんだろうけど、地元の人と語り、この町でできる限り時間を過ごす努力をした人は、どれくらいいるんだろう。

 

記者であれば、なおさらその手順は大事にしてほしいなと思う。

 

手っ取り早く撮影して、持ち帰って、「まだまだひどい、こんなの、住めたもんじゃないですよ」なんて簡単に済ましてほしくない。

その「住めたもんじゃない」と言って、勝手に撮られた映像や写真には、誰かが住んでいた家であり、誰かが遊んだ公園であり、たくさんの思い出が詰まっている。

定期的に帰って、お家の手入れをしている家主さんも多くいる。自然に生えてきたキノコを撮影するのとは訳がちがう。

 

とは言いつつ。

わたしも同じくカメラを向けてしまうのは事実だ。

他人に偉そうに指摘するほど、わたしはできた人間ではない。

 

わたしも、持ち帰って現状を伝えないと、と思ってつい、撮ってしまう。

家屋などはSNSにあげるにはためらってしまい、結局特に誰に見せるわけでもなく、保管したままだけど。


それにしても、すごい。

地元の人はひとりもいないんじゃないかと思うほど、みんなパンパンに膨れたリュックをお供に、一心不乱にレンズ越しに外を見つめている。

 

運転手の隣に立っている女性がマイクを手に話し出す。

「これから、放射線量が高い地域を通過するので、窓は開けないようお願いいたします。今からこの代行バスにて迂回しながら…」

 

観光バスに、バスガイド。

車内は窓側に張り付く男たちしかおらず、流れるアナウンスにも観光ムードは一ミリもない。


わたしもこの男たちと大して変わらないじゃないか・・・


ここに根付いて踏んばってきた人たちがが培ってきたものを横目に、自分の思い込みを肯定したくなる欲は、わたしの中にも潜んでいる。

 

発車してすぐ、気持ち悪くなってきた。

 

だんだん、雨足が強くなって、富岡駅に到着したころには土砂降りになっていた。

 

あ~、これは全く歓迎されてない、スミマセンでした。と思ったわたしは、結局富岡駅から町に繰り出さず、まっすぐに関西へ帰ることにした。

 

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富岡駅から電車に乗車したときに、窓から見えた風景。目線を横に移動させると、まだまだフレコンバックは積みあがっていた

 

まるで、暗い穴の中にぽつんと自分だけがいるような。

そして、その穴を覗いているもう一人のわたしは、醜い欲をまとっている。


そんな気分だった。

 

 

 

 

それから、しばらく、わたしにできることはあるだろうかと、ずっと考えていた。今も。

 

せめて、自分の周りの人には伝えたい。

自分の周りの、福島に関心のない人たちが参加してくれるような、イベントができないものか、と、そのころ強く考えるようになった。

 

ある夜、顔見知りの居酒屋に友達と行ったとき、いつも同じ席に座っている常連のおじさんが話しかけてきた。

 

というより、常にわたしたちの会話に耳をすまし、要所要所、口をはさんできただけ。

終始、上から物を言うような人で、「お前らみたいな若いもんはこんなこともあんなことも知らんやろけど」と言った感じ。

トランプ大統領に似てるかも。

やっとおじさんとの会話が途切れた、と思って福島での話しをはじめたら、静かにわたしと友達の声に耳をすましている気がした。嫌な予感。

 

「福島とか言うたか?」

 

予感は的中した。

 

はっきりとは覚えてないけど、たしか、おじさまは産業廃棄物関係で福島に関わっていて、政府の粗悪な復興政策を知っていた。

あんなこともこんなことも知らないで福島に通うなんて、愚かなやつめ。たぶんそんな感じだった。

 

いや、わたしはただ、こっち(関西)では福島の現状が全然耳に入らないし、終わったような話しになってるから、もっと多くの人に知ってもらって、二度と同じことが起きちゃいけないし、避難した人も避難しなかった人も帰還した人も、差別されてはいけないと思うから、何か催しをして、わたしの見聞きしたことを伝えたいな~っていう話しをしてただけ…


と、言いたくても途中で遮られる。

わたしはただ、あたりで畳みかけるようにしゃべりだす。

 

その繰り返し。

 

お前みたいなやつ(偽善者)がいっぱい行くから福島はあんなことになったんだ、と言わんばかりに、おじさまはどんどん熱くなる。

 

結局最後の最後まで、わたしにしゃべらせてくれる間を与えなかった。

 

終いに「政府の犬」とまで言われた。

もう戦っても意味がないと気づいたころには、どっと疲れて、ふと友達の顔を見ると、「早よ店でようや」と目で訴えてきて、わたしは頷いた。

 

せっかく遠くから遊びに来てくれた友達に申し訳ない気持ちと、あのおじさまと対峙した虚しさでいっぱいだった。

 

あの時間は何だったんだろう。

何のために、誰のために、あのおじさまはわたしを罵ったのだろう。

わたしも、おじさまも、同じように原発に問題意識をもっていて、福島を気にかけているはずなのに、なぜ戦う必要があったのか、わたしには今でもわからない。

 

あのおじさまからしたら、わたしが敵なのだろうか。

帰還を決めた人、避難したくてもできなかった人、解除になった町に移住して働く道を選んだ人、それらみんなが敵かのように聞こえた。

 

店を後にしても、ふんぞり返ったトランプ大統領が頭に浮かんで、なかなか消えなかった。

 

 

...

 

 

福島第一原発事故のことで意見が対立することは少なからず、わたしも経験してきた。

あそこまで人を全く尊重せず、たくさんの人を踏みにじるように罵りながら意見する人はあまり出会ったことがないけど、声をあげられる人の中で、こういう、批評ではなく、誹謗中傷をする人って結構いる。

 

人間きっと誰しもそういうところがあるんだろう。

誰かを踏み台にして、高みに立とうとする。自分の思うことをすべて肯定させたくなる。わたしも知らぬ間にしているだろう。

 

でも、大事なのは目の前の人を罵倒することではない。

そんなことで得られるのは、しいて言うなら優越感だけ。

 

 

 

 

その頃から、なぜか根拠のない自信がわいてきた。

 

たまに見かける、誘導尋問のようにひとつのルートしか示さない記事や、きいてる人の耳が機能しなくなっちゃいそうなあのトランプ大統領似のおじさまより、


わたしはわたしの周りの人たちを、もっと、今まで向けていなかった方向に、意識を向けることができる気がする。

 

あの、福島で感じた人々の息づかいを感じて息をのんだ瞬間。

 

まちがいなくあの時、わたしはかすかに感動した。

その感動は、一言で表せられない。


この地を、この地にいる人を、人間の手で荒らした、人間の愚かさ、


真新しい建物が並ぶ以前にあった風景(震災前も震災後も)を、わたしには想像することしかできないという、切なさ、


それでも、たしかに、人の感情がともなった命の気配と活気を感じた喜び、


小高の現状を話してくれた男性の、寂しそうな目。


駅前から少し離れた郊外の、まさに人気の感じられない様をみた虚しさ。


なんか、それらが一気に押し寄せてきて、わたしの心は非常に揺さぶられたのだ。



目に見えるものだけ、説得力のある言葉だけ、自分に都合のいいことだけを信じ続ければ、それだけで人生の中においては十分だという人は、たくさんいる。

 

でも、それは子どものころからそういう生き方を教えられてきただけであって、知らないだけなのだ。

大人になったって、誰だって中身は何にも変わらない。

年を重ねて変わるのは、見た目と、どんどん狭くなる視野だけ。

 

それに気づいて、うぬぼれず、知って、記憶にとどめ、少しだけ学習する。大地を踏みしめ、大切な人を大切にするための行動は、自然と身につくはずだ。

 

この揺さぶりを、もっとたくさんの人たちに味わってもらえたら。。

 

 

ということで、2019年秋のイベント「いのちつむぐ芸術祭」開催へと、わたしは行動したのでした。

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撮影:あかねまる

 

この記事を書く前にイベント終わっちゃったけど・・・(笑)

ほんと、みなさんありがとうございました。(この投稿の前の記事にイベントの報告を載せています)

 

長い長い、わたしのひとりごとに目を通してくださって、感謝します。

 

 

 

オワリ

 

いのちつむぐ芸術祭、終了しました!

遅くなりましたが、10/27(日)~11/3(日)に開催した台風19号の被災地へのチャリティーイベント『いのちつむぐ芸術祭』は無事、終了しました。 

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本当にたくさんの協力者、出演者、作家さんにご協力いただき、約一週間のイベントを終えることができました。
どの日も、驚くほどあたたかい時間が過ぎ、参加者の皆さんと一瞬一瞬をともにできたことに、感謝の想いで胸がいっぱいです。

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いのちつむぐ芸術祭は、映画『1/10 Fukushimaをきいてみる』をフィナーレのイベントとして開催するために、 たちあがった企画です。

福島の現状についての情報が耳に入らない人たちに多く参加してほしいという目的があったため、たくさんの方にご協力いただき、11/3まで一緒に芸術祭をともに創り上げてきました。

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また、参加費をいただいた日は、上映会にかかる費用や展示会などにかかる費用に活用させていただく予定でした。
しかし、台風19号が東日本をおそったため、急きょ、それらの参加費は被災地へ送ることに変更いたしました。

集まったお金は、10/27、10/29、10/30の参加費と、10/27~11/3間に常設した募金箱と合計して63,378円となりました。皆さま、本当にありがとうございます。

支援先は、私のつながりの中でご紹介していただいた団体と、以前からのつながりの団体にさせていただきました。
芸術祭の開催までに支援先が確定しておらず、皆さまへのご報告が遅くなってしまい、申し訳ありません。

 

特定非営利活動法人 ファミリーホーム いぶき
http://family-ibuki.com/

◎一般社団法人 カリタス南相馬
https://caritasms.com/

 

2団体なので少額になってしまいますが、上記団体へ、しっかりとご寄付いたします。
寄付先にさせていただいた経緯も少しお話しします。

 

特定非営利活動法人 ファミリーホーム いぶきについて】

はじめ、「ファミリーホームって何?」と、私も思いました。
いぶきさんのホームページによると、「家庭事情で親と離れることになった0~18歳の子どもたちの生活する家です。現在全国に約220、県内では2箇所目、郡山では第1号になります。」とのことです。
児童養護施設は聞いたことがあっても、こちらはあまり聞きなれないですよね。
小規模住居型児童養育事業として運営されるといっても、子どもたちに対する行政からの補助金は学校の授業料のようなものだけ。
身につける衣服や靴、インフルエンザの予防接種などは寄付でまかなっていました。
ここではもともと6人の子どもを受け入れていましたが、台風の被害をうける前から、厳しい状況だったのがわかります(ということは、いぶきさんだけでなく、他の全国のファミリーホームも厳しい状況なのかもしれませんね)
ところが、台風が上陸する二週間くらい前から長雨が続き、10/12の上陸までの間に「自分では子どもをみれない」という親から、受け入れの依頼が次々と入ります。
そして、子どもたちは10人になりました。
ただでさえ厳しいにもかかわらず、人数が増え、より厳しい状況にあると思われます。
この事業に対する補助金の手当てが少ないことなど、根本的な問題が台風被害とは別にありますが、支援が行き渡る可能性が低いと感じたため、こちらへ決めさせていただきました。

 

【一般社団法人 カリタス南相馬について】

カトリックの方たちが運営しているボランティアベース。
東日本大震災後、福島だけでなく、宮城県内や岩手県内でも設置され、ボランティア活動や被災地を案内するなどの活動をしています。
ほとんどのボランティアベースは閉所しましたが、このカリタス南相馬は今でも活動されています。
というのも、福島県原発事故のあった原発に近い地域は、放射能汚染の影響で入れない地域、近年中に解除になったばかりの地域もあります。
解除になっていても、復興がだいぶ遅れていて、何年も空き家状態になった家の片づけを手伝うボランティアなどがメインでした。
そして、台風19号の被害をうけて災害ボランティアセンターを南相馬市も開設しましたが、ニーズはまだありますが11月中に閉鎖してしまうとのこと。
南相馬の災害ボランティアは、カリタス南相馬のような団体の活動がメインになるのではないかと思います。

 

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おわりに

原発事故のあった周辺地域は、あまりに各所で状況が異なり、現実に直面している人たちの現状も実に様々。

原発は、取扱説明書が充分にできていないようなもの。
組み立てたは良いけど、解体の方法がわからない。廃棄物は燃やすゴミでも資源ゴミでもない。動き始めたら、それが最後。

大量につくられ、一歩間違えれば大量の命をうばう原発

それを長年動かしてきて、都会へ大量の電力を送ってきた福島第一原発に、起こった事故。

チェリノブイリ原発事故が頭をよぎる中、偶然が重なり、幸いにもそこまでの規模には至らなかった。

それをいいことに、ギリギリアウトのところまで基準をあげ、「ここまでなら大丈夫」というボーダーラインとされてしまっている、恐ろしさ。

 

「 ぼくが ここに いるとき
  ほかの どんなものも
  ぼくに かさなって
  ここに いることは できない 」

 

10/27の二人芝居で詠んだ、まど・みちおさんの「ぼくがここに」

私たちは、重なって、束になって存在しているのではない。 

死者の数だけでは判断できるはずがないのです。

なににも代えることのできないはずの、命。

あれからどれほどの人たちが医療機関へ行き、不安な日々を過ごしているのか。

地元から引き離され、転校を余儀なくされた子たち、仮設住宅で自殺を選択する人たち。
たくさんできた野菜を捨てるしかなかった農家さん、自主避難をせずそこに留まった選択によって、数年後のわが子の未来を恐れるお母さんお父さん。

 

幸せになるために生まれてきた、と言えるほどやさしい現実とは思えない。

でも、私やあなたが、「ここにいる」ことこそが素晴らしく、それが脅かされてしまっては、決してならないと、私は思うのです。

 

 

以下のリンクは、おそらく現時点でのリアルタイムな台風19号による被害状況です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191015/k10012131581000.html

非常に広範囲に大きな被害をもたらしたこの災害で、今だに避難所生活を送られている方もいます。
また、この記事によると、自宅であっても床下を乾かしているため、外気が入ってきて寒さが厳しくなっている方もいるとのこと。
この災害で亡くなられた方や遺族の方に、心からお悔やみ申し上げるとともに、被災者の方に一刻も早くあたたかい時間が訪れますように。

 

 

Special Thanks(順不同、敬称略)

■共催
NPO法人月と風と、TUMUGUBA(ツムグバ)、西正寺

■作品提供
ふじおかありさ、ポングリ、小林煌、ジョナ☆シェン、ふくの島展

■写真展示
桑田一夫、森下怜奈

■商品の販売
三春彩花、染めの会(南相馬農家民宿より)、南相馬ファクトリー(NPO法人ハッスル)

■出演協力
今井亜紀、山本峻平、アカリトバリ、かつふじたまこ、景山幸信、Rin、ケンみちのく&そねレンジャー、一般社団法人手話エンターテイメント発信団oioi、かいようせいぶつ、松田健

■11/3クロージングパーティ対談
古波津陽、木村紀夫

■協賛
8/18「ヨガと保養キャンプのお話し」参加者、9/7「いのちつむぐ紙芝居とライブと盆おどり」参加者、10/4「チャリティごはん会」参加者、キヨタドォーターCharity Birthday参加者(以上、芸術祭活動資金のためのチャリティーイベント)
Saki Fukuo、cats22、oshpink-moshi(以上、ポルカフレンドファンディングより)
ポレポレハウス、吉田悦造商店、放射能から豊中の市民・子どもを守る会、株式会社興夢テック、山本正勝、上原彩乃、中村大蔵、坂本敏子、石倉優子、引地奉子、古田拓也、鹿島くるみ、石井雅人、コミュニティナース立浪雅美、中平了悟、上田知則、坂本保子、芸術祭期間中に「運営費募金箱」にご寄付いただいた皆さん、いのちつむぐ芸術祭実行委員会のみんな

 

皆さま、本当にありがとうございました!
またどこかでお会いできますように。

 

いのちつむぐ芸術祭実行委員会
実行委員長 義岡 翼

台風19号による被災地のためのチャリティーイベントします!

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10/27(日)~11/3(日)に尼崎で「いのちつむぐ芸術祭」を開催します^^♪
「いのち」をテーマとするアート展示や、ライブや体験コンテンツ、そして最終日には福島の記録映画『1/10 Fukushimaをきいてみる』の上映とトークイベントを行います。


着々と準備をすすめていた最中、つい先日、広範囲な地域が台風19号による被害をうけました。


8年前の東日本大震災と同じように、死者が日に日に増え、本当に胸が苦しく、被災した方たちが心配でなりません。

いわきのあの子どもたちは無事だろうか、民宿のお母さんの顔が見たい。
よく通ったあの大通り、あの景色はどうなってるのか。


でも、たくさんの方が自分の知恵や技術をつかって関わってくれている、この「いのちつむぐ芸術祭」が終わらない限り、わたしの体は被災地へは行けない。


幸いなことに、クロージングパーティーの11/3に、福島から来てくれる語り手さんはご無事で、トークイベントをする予定でいてくれている。
出店してくれる福島の作家さんも、ご無事らしく、ちゃんと納期に間に合うように商品を送ってくれました。

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11/3(日)上映&トークイベントに登壇してくださる、福島県大熊町で被災された木村紀夫さん

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福島の農家民宿にて

でも、寄付先はまだ決めていません。



このまえ、あらためて実感したことがありました。
福島の民宿のお母さんに様子をきくため電話したとき。


「震災のときとくらべたら、わたしのとこはまだ大丈夫なほうよ~」
断水しているため、これから一か月くらいは、民宿の営業ができない状態だとは思えないくらい、すがすがしい声だった。


最後に、ぽつりと言いました。

「でも、わたしたちが大変だったとき、長野の人とかにたくさんお世話になったけど、恩返しができないのがつらいね」


ああ、支援は、循環するものであってほしい、と強く思いました。

あのとき助けられたから、助けないといけない、もしくは、助けたから、助けられるのが当たり前、ということは全くない。
できる人ができる時に、できることをすればいい。

困っているときはお互い様。
困ることは特別じゃなくて、いつでも自分の身にも起こり得ること。

災害みたいなときだけではなくて、いつでも私たちは、その循環しているものの中に生きているんだなと思います。


だから、いっそのこと、チャリティーイベントにしちゃおうと。
皆さん、ぜひ、「いのちつむぐ芸術祭」に来てください。
いただいた参加費は被災地に送らせていただきます。


また、それに伴って、運営にかかる資金はわたしのポケットマネーに手をだすことになるので、もし趣旨にご賛同いただけたら下記の記事から協賛金も受け付けています。
polca.jp

でも、これは本当に二の次でかまいませんので。(笑)


まずは、足をお運びいただき、参加してほしいです!!!!!!

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<詳細>
■10月27日(日)  13:00~17:00
 タップダンス、朗読、ライブペイントなど

■10月29日(火)  13:00~18:00 「いのち」をテーマにした絵と写真の展示会
            18:00~20:00 キャンドルライブ!

■10月30日(水)  13:00~18:00 「いのち」をテーマにした絵と写真の展示会
            18:00~20:00  キャンドルヨガ!

■10月31日(木)  13:00~18:00 「いのち」をテーマにした絵と写真の展示会

■11月 1日(金)  13:00~20:00 「いのち」をテーマにした絵と写真の展示会

■11月 3日(日)  13:00~【一部】『1/10 Fukushimaをきいてみる2017年版』上映&トークイベント
            16:30~【二部】『1/10 Fukushimaをきいてみる2018年版』上映&トークイベント

<場所>
■10月27日~11月1日の会場
 TUMUGUBA(ツムグバ) 〒661-0979 兵庫県尼崎市上坂部3丁目21−2(JR塚口駅より徒歩10分、阪急塚口駅より徒歩25分)

■11月3日の会場
 西正寺(さいしょうじ) 〒661-0979 兵庫県尼崎市上坂部3丁目36−8(JR塚口駅より徒歩10分、阪急塚口駅より徒歩25分)

詳しくは、上のチラシをご覧いただくか、Facebookイベントページから^^
https://www.facebook.com/events/358546668431493/?ti=icl

かすかでも、たしかにある

2019年3月

福島県南相馬

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震災3年後の2014年から
南相馬に来て小高区で片付けのお手伝いをし、
宿は鹿島区の民宿にお世話になっていた。

と言っても、毎回、ほんの数日だけだけど。

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最近はただ観光して、
民宿でのんびりして帰るのが恒例になっている。
(小高では避難が解除になったので。もう少し詳しく過去の記事に書いています。http://tsubablo.hateblo.jp/entry/2018/05/21/145648)



そして今年、

はじめての感覚に、はっとした。

表現があってるのかわからないけど
それは、「人のにおい」みたいなもの。

ただ人が歩いているとか、
お店が増えたとかではない。

人の感情がともなっているような、におい。

しかし、圧倒的に人は少なく、
空き地や空き家はたくさんある。
このとき私がはじめて小高に来たとしたら、
ひと気の無さに愕然とするだろう。


でも、このとき感じた「それ」は
かすかでも、たしかにそこにあった。


というのも、
その日はまちのコミュニティスペースで
イベントが開催されていたのだ。

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1月オープンしたばかりの小高交流センター

この小高交流センターには
定期的にマルシェを開催したり
室内で子どもたちが遊べる設備がそろっていた。

小さい子どもたちが遊んでいる。
それをお父さんやお母さんが見守っている。

何やらせわしなく小走りしているおばさん達。

少ない飲食店は、笑顔と活気にあふれていた。

明らかに人が少ないとしても、

人と人の間にただよう「人のにおい」

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もとの人口の1割くらいしか
住民票を戻していなかった昨年の4月。
わたしの目には、ずっとその時の小高にしか
見えていないのだろう。

少しずつ、変わってきたのだろうか

と、思った。


小高で立ち寄ったところで、
この日のイベントのことを
笑顔で話してくれた男女がいる。

県外の学生が演奏をしに足を運んでくれたと言う。
素敵な時間で、思わず泣いてしまったと、
女性は今にも泣きそうな顔で言った。

喜んでいるような、
悲しそうにも見える表情だった。


今年の4月には、小高に住む住人は
2割か3割ほどになる見込みだと
千葉から移住してきた男性が教えてくれた。


私は、え、と思った。
一年でそこまで変わるものなのかと。


ーーと言っても、除染業者の人たちがこっちに移り住んでたり、避難している人たちは住民票をこっちにそのまま残している人たちもいるけどね。増えてきている一番の理由は、避難先の仮設住宅が打ち切りになったことだと思うけどーー



わたしのような、縁もゆかりもない外の人間は
つい数字だけで判断してしまう。

ひとこと目を聞いて、
「あ、そんなに帰ってきてるんだ」
そう思ってしまう。



たしかに、

小さな声を届けるためには数字を出して
「こんなにも多くの困っている人たちがいる」
と主張しないといけないときがある。

でも、時にそれは
大事なものを見えなくすることもある。

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歩道橋から見た小高駅。線路も津波で浸水し、写真左側は何もない更地状態。



小高駅前すぐには、

モニタンリングポストはもちろん
放射能測定所も、駅から出てすぐにある。

そこから少し直進したら小高交流センターがある。
子どもの遊び場だけではなく
大人が体を動かすジムに近い部屋や
カフェスペースも。

その一角には、
小高の歴史を伝える資料や模型が並んでいた。

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日々、目の前に横たわる『事実』

『答え』なんて、そんな安易なものは
ここには存在しない。

あるのは事実だけ。

わたしだったらどう生きるのだろう。


完全に「生活」と切り離されたような
まちに感じた5年前。


この日、カフェスペースにある
小高の資料や模型を見ていて、

「歩みをすすめて」
「復興にむかっている」

というようなメッセージが
こめられていたように感じた。


たくさんの人を置き去りにしてはいないだろうか

私ですら、その流れに身をまかせられないでいる。


一方で、

ここで住むための「安心感」をつくるため
力を尽くしている人たちの存在を
ひしひしと感じた。

ここにある、
かけがえのない命ひとつひとつが
なぜこんなにも強く感じられるのだろう


いつまでもあの5年前と比べ続けることは、

このまちで生きている人たちに
とても失礼なことのように感じた。


そう、そうなのだけど。

でも、やっぱりわたしは、
ふと目を向ける。



6号線沿いを走ると、
汚染土を入れた袋を積み上げている土地は
突然現れる。

場所によっては、
「ようこそ南相馬へ」などの言葉や
相馬野馬追の絵が描かれたついたてで
囲いがされていた。

人の息づかいを感じた地から
少し足をのばしたところには
この殺ばつとした光景が目にはいる。

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わたしの心を締め付ける。

目をそむけたくなる景色は、すぐそこにある。



もしかして

いや、あるはずだ、と。

まるで間違い探しをするように
わたしの目線は動いているのではないか。

原発事故の大きな影響を受けたまちが
そう簡単に豊かになってはいけない

そんな風に思ってはいないだろうか。


家の片付けを手伝ったお宅で、
おいしい味噌汁をだしてくれたおばあちゃん。

とってもとってもお世話になっている
民宿のおばちゃんは、

南相馬の人たちを集めて
手作りのものを県内外で販売し、
たくさんの人たちに
大好きな南相馬に来てほしいと願っている


誠意をもって接してくれた人たちに
申し訳なくなってくる



居心地の悪さを感じた。
今のわたしはここにいるべきではないと思った。


いてもたってもいられなくなり
早く家に帰ろうと、駅へと足をむけた。



つづく。

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上映会を終えて

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『1/10 Fukushimaをきいてみる』

10/6大阪・10/7京都ともに
たくさんの方にお越しいただきました。

東京から来てくださった監督、
佐藤みゆきさん、庄司さん、
佐藤さんを待ってくれた赤ちゃん。
会場を貸してくださって、
当日も走り回ってくださったみなさん、
無茶ぶりも全てやってくれたお手伝いのみんな。

「当日は行けないから」とご支援いただいたみなさん
そして、当日に足を運んでくださったみなさん。

本当にありがとうございます。
みなさんが一人でも欠けていたら、
あの、優しくて、静かに化学反応が
起こっているような空間にはなりませんでした。

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さて、わたしの上映会への思い、
当日は頭がパンクしてて話せませんでしたので、
ここで書かせていただきます。

長いですが、お付き合いくださいませ。




この映画を上映するにあたって、
いろんな人に声をかけたり、
いろんな所にチラシを置いてもらったりしました。

そんな中で、わかっていたつもりだったものの、
「福島への関心は本当に薄れている」
と、本気で心配になりました。
それくらい、福島の現状に対する反応は、
数年前とくらべて大きく異なっています。

過去の職場で、定期的に福島に行くわたしに、

なぜそんなことをしているのか意味がわからない

という言葉をかける人がいました。

こんなことを言う人もいるのか~、と
深く考えてませんでした。

でも、ここ1ヶ月ほどは、その人の言葉が
何度も頭の中をよぎりました。
むしろ、あのような考えの人のほうが
多いのではないか?と。

福島にいる◯◯さん、
避難を続け故郷に思いをはせる◯◯さん、
権力に立ち向かう人たち、
様々な手段で子どもたちを守ろうとする人たち、
夏になったら関西に来てくれる福島の子どもたち。

わたしは一部の◯◯さんたちしか知らないくせに、
宣伝がうまくいってないと感じるたびに
◯◯さんたちを思い浮かべては、申し訳なくなる。

『意味がわからない』と
目の前で言っていたあの人に、
何も言えなかったふがいなさ。

でも、当日になって、
たくさんの方が来てくださいました。

映画に出演する話し手の声を吸収して、
怒りでもない悲しみでもない、もやもやのような、
でも知ることができたという喜びをまといながら、
感慨深い顔つきで帰っていくみなさんの姿。

その姿を見て、
やっぱり『7年しかたっていない』のだと、
再確認しました。

何も、終わってないんだと。

本当に開催して良かった。

でも、「良い映画だったね」で終わるのではなく、

上映会に行くという一歩の先に、
ひとりひとりがどんな思いを抱き、
どんな行動が発生するのか。
わたしはそれが一番大切だと思います。

行動と言っても、
福島に行くだけが行動ではありません。

「知る」場に出向く、
身近な人に映画の話をする、
当たり障りのない福島に関してのニュースを
もっともっとよく見てみる。
そして、自分の過去と今を見直してみる。

7年前のあの頃、
心配したりソワソワしたり絶望したり、
いろんな気持ちが全国で交差していました。

自分のしたいことに向き合うひともいれば、
生き方を見直す人、
大切な人を大切だと再認識するひと。
「あ、そういえば・・・」と、
あのときを思い返してくれたら。

そんな思考や行動が
自然に発生したらいいなと願っています。


最後にもう一度。
わたしの大好きな人たちに手伝ってもらって
わたしの大好きな人たちもたくさん、
観に来てくれて、はじめましての人にも
たくさん出逢いました。
大切な人たちと大切な感覚を共有したあの時間。
本当に感謝です。

絶対、来年も開催します。
ぜひ、お友達も連れてご参加ください!!

ではでは、また来年~(^^)人(^^)

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映画『1/10 Fukushimaをきいてみる』

『1/10 Fukushimaをきいてみる』上映会


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チラシ表

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チラシ裏


10月6日と10月7日に、
福島のドキュメンタリー映画を上映します。
(映画の詳細はこちらhttp://fukushima-ask.info/

わたしは1994年、大阪生まれです。
一年後、阪神淡路大震災がありました。
それから巨大地震や豪雨災害が続き、
最近では関西で珍しく巨大な勢力の台風。
と、言っている内に次は北海道で震度7

今、安否不明者もいる中で、
じわりじわりと増える死者の数は、
東日本大震災を思い出してしまいます。
一人でも多くの無事を祈るとともに、
被災した方々だけでなく、
大切な人の命が失われた方たちに
あたたかい生活が1日でも早く
戻ってくることを願います。

巨大な勢力を持った台風の直後に巨大地震
仕事中、吹き荒れる飛来物を窓から眺めながら、
こんなときに地震がきたら嫌だなと思っていた。
まさか本当に来るなんて。

自然に発生することが
待ってくれないのは当たり前。
わたしたちのタイミングなんて関係ない。
これは本当の「想定外」だと言えることだと思う。

自然の前で、わたしたちは無力だと言うけど
わたしたちを主で考えること自体
間違っているのかもしれない。
宇宙の変動、天地の誕生により、
奇跡的にプツプツと生まれたのが
生命なのであり、それがわたしたちなのであれば
わたしたちが無力であること、
天変地異を想定できないということ、
それも当たり前。

対して、かつておろかな人間が作った核兵器
一瞬の被害だけでなく、
じわじわと命をむしばむ核兵器
それとほぼ同じ原理でつくった原子力発電所
自然との共生よりも「効率」を重視し、
少数の尊厳よりも多数を優先する。
“核の平和利用”をお国の偉い人たちは認め、
わたしが生まれた頃には
たくさんの原発が当たり前のようにあった。

今回の北海道の震源は隠れ断層の、
今までの震源以上に地中奥深くだったという。
人間がわかっている活断層の上には
原発をつくらないと決められているが、
たまたま見つけられていない活断層
原発の下にあったらと思うと怖くて仕方ない。

自然のことは、想定しようがないことなんだから、
安全を断言して、事故が起きたら「想定外」と
豪語するのはめちゃくちゃなこと。
(しかし福島第一原発津波に関しては想定できていたが対策していなかった)
東日本大震災のあとの原発事故は、
そんなめちゃくちゃな人類が引き起こした
「人災」であることは間違いない。


『1/10 Fukushimaをきいてみる』


この映画は、最も直接的に影響をうけた人たちの
時がたった“リアル”な姿を映像に残した作品です。

ここには、いろんな想いや現状、考え方が
映し出されています。
お国の偉い人たちが公表することだけが、
全てではありません。

お国の偉い人たちだって、人間です。
誰が正しい、間違っている、と言う前に、
直接的に影響を受けている人たちの声に
耳を傾けたほうが、
より真実に近いのではないでしょうか。

わたしたちに本当に必要な情報は何なのか
見極める力を持つためには、
時に自ら行動せねばならないと思います。

一人でも多くの方がご来場いただけることを
願っています。


◆大阪上映会◆
日時:2018年10月6日(土)
17:30開場/18:00上映
【2017年度版】上映します。
場所:space korallion ※元café Slow Osaka
大阪市淀川区十三元今里2-5-17)
入場料:無料(1ドリンク1,000円)

◆京都上映会◆
日時:2018年10月7日(日)
①【2013年度版】
14:45開場/15:00上映
②【2017年度版】
17:30開場/18:00上映
場所:本町エスコーラ
京都市東山区本町8丁目97)
入場料:無料(1ドリンク1,000円)


◆連絡先◆
電話:080-1472-3763
メール:cha-5-mon@docomo.ne.jp
義岡 翼


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今年4月の南相馬訪問時の写真

南相馬の柳 美里さん

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先月、福島県南相馬市の小高に行ったとき、
作家の柳 美里さんの自宅兼本屋さん
フルハウス」に出会った。

そのときに購入した本が素晴らしくて、
おすすめしたいんだけど、

その前に

小高というまちと、わたしの関係について
お話ししたいと思う。

福島県には2014年の秋から定期的に訪れている。

今でも年に一度か二度は訪れているのは、
おそらく初めて小高へ行ったときのことが
忘れられないからだと思う。

4年も前とは思えないくらい、鮮明に覚えている。



******

あの頃の小高は、
警戒区域から居住制限区域になり、
わたしが来た頃はちょうど
帰還政策にむけて除染作業が
始まろうとしていた時だった。

瓦礫はほとんど撤去されていたけど、
3年放置された田畑は雑草が背高くのびていて、
住居の中や庭はホコリにまみれていた。
イノブタや空き巣に荒らされた家もあるという。

ショーウィンドウで中が見えるお店は、
地震で蛍光灯や内装がめちゃくちゃになっていた。

まちのどこもかしこも、人の気配は全くなく、
すれ違う車はどれも作業中のトラックばかり。
歩行者なんていなかった。

除染後の廃棄物を入れる黒い袋(フレコンバック)も
ほとんど見当たらない時だった。

昼間なのに、暗くどんよりしているように感じて、
放射能健康被害などに全くの無知だった
わたしだったが、それらの町並みを見るだけで
絶望しか感じなかった。

帰還にむけて、住居の片付けの手伝いをする
ボランティアとして、鹿島区の社協から
小高の住宅へ車で移動した。

はじめて訪問したお宅での話。

そのお宅は、たしか高台にあった。
敷地のすぐ横を見れば、海だったと思う。
「このお宅は津波の被害はなかったんだな」
と思って海を眺めていると、
視界の左側に衝撃的な光景が飛び込んできた。

水門のような橋のような、
とにかく大きな石質の塊が、
真っぷたつに崩れ落ちていた。

もしかしたら川だったのか?
でも、その時の光景があまりに衝撃的すぎて
じっと見つめることができなかった。
他のボランティアの人たちと同じように
写真を撮ることもできなかった。

お昼休憩には、その日はじめて出会った
ボランティアのおっちゃん達と昼食をとった。

「ここに帰りたいと思う人はほとんど高齢者」

「若い人は避難先で新しい生活が始まってるし」

「こんな状況で本当に住めるようになるのかね」

「こんなときにオリンピックなんてできる余裕あるのかな・・・」

そこではじめて、このまちの現実を知った。

「なんていうか、暗いんだよね、まち全体がさ」

いかついおっちゃんがこぼした一言と、
道中の光景が重なり、その場の全員がうなずいた。

関西で生きてきた自分は
いかに何も知らないで過ごしていたのか
近隣の原発の存在を意識したことがなかったこと
東京オリンピックと福島の復興政策について
何も感じたことがなかったということ

あの時のわたしは本当に何も知らなかった。

そして15時になり、作業は終わる。

作業に入る前と後は、
家主さんからの挨拶があるのが多い。

その日の終わりの挨拶の言葉が忘れられない。

「みなさんがこんなに綺麗に片付けてくれたおかげで、ここで生きる希望が湧いてきました。」

そう話す家主さんの目は、本当に輝いていた。
お世辞なしで、心から自然に出てきた言葉だった。

それから、
「若い人がいないなら、住んだらいいんだ」
とわたしは思い、
何年後かには移住するつもりでいた。

結局、なかなか実現できない状態だが、
移住をしようと思ったあの時のわたしは
もしかしたら「責任」を感じたのかもしれない。

あの状況下で、帰還の希望を見いだしたのは
本当にあの人のためになったんだろうか。

あのお宅でわずか数時間だけ
手伝いをしたわたしは、

こんなにも希望を感じられない地で、

あの人のこれからの一生に
無責任にも希望を与えたのではないだろうか。

忘れ去られたような、あのまちに、
帰ってくる希望を与えた「責任」。


******



あのまちは、今どうなっているのだろう。
昨年、居住制限区域が解除されたのだが、
解除されてたからは
まだ小高には行っていなかったので
ずっと気になっていた。

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そして先月、ようやく訪れた小高。

お店を再開した人、
少し前から戻ってきた人、
新しいことを始めている人たちにも出会った。

水色ののれんがかかってる時計屋さんがあって、
とくに時計を買うわけでもないけど入ってみた。
少し話しをしただけで
すぐに椅子に座らせてくれて、
お茶とお菓子までいただいた。

もとの人口の1割か2割くらいしか
帰ってきていないため、
やはりまだ寂しい町並み。

しかし不思議なことに、
おしゃべりを少しするだけで
こんなにも心温まるんだなとしみじみ思った。

その時計屋さんのご夫婦が、

「つい最近、柳 美里さんの本屋さんができたよ」

と教えてくれた。

道も手厚く教えてくださって、
その本屋さんをつくった経緯まで教えてくれた。

福島県の避難区域になった地域では、
友人や家族、ご近所さん、多くの人たちが、
福島県内のみならず、日本全国に避難した。

そして避難が解除になったとき、
帰還を望み、もしくは
帰還するしか手段がなかった人も含め、
生活の寝床を小高に戻したとしても、
生活の拠点をどこかに残しながら
帰還した人たちも多い。

仕事が別の地域で、遠くから通っている人。
住宅だけでなく学校も仮設校舎になり、
他のまちの学校へ通っている学生。
避難したあとに高校に入学したために
帰還してからは遠くから通わないといけない学生。

そして、その時計屋さんによると、
小高駅を利用する学生たちが
電車の乗り換えのために駅で待つ時間、
ここで過ごしてくれれば
という思いでつくられたという。

田舎では珍しい、
夜21時まで営業する本屋さんである。

フルハウス

というシンプルな看板。
色んな作家さんのコーナーがあって、
各々が推薦した本が並んでいた。

誰かが「大切な人にもらったもの」を
宝物のようにあるべきところに
置かれているような。

本屋さんというより、
誰かの部屋にいるような気分になった。
温かくて、ずっとそこにいたいと思える空間。
(人が多くて店内は写真が撮れず。)

その空間にいたら、
シンプルに柳 美里さんのことを知りたくなって、
本を購入してみることにした。
なるべくエッセイに近いものを選んだ。

その本は「国家への道順」というもので、
日本国家についての話というよりかは、
在日韓国人である自分の半生と
日本社会を照らし合わせながら
いろんなことを話してくれた。

感想は、また後日書くつもりだが、

フルハウスをつくった思いを感じられる言葉が
本の中にあった。

柳 美里さんは、
今でも差別を感じることが多いが、
子どもの頃は本当にひどいイジメにあっていた。
それはもう、壮絶な。

すべての時間が試練のような現実に耐えるため、
物語を読み、物語を書くようになったという。

その時間が唯一、
現実を忘れさせてくれる時間で、
自分を「ユートピア(どこにもない場所)」へと
連れていってくれる、救いであったと。

この本を読んだ今、
学生が夜遅くまで駅にいるのが危ないから
という理由だけではない、と思った。

東京電力原発事故によって
住むところを失った人、
仕事を失った人、
今までの生活ができなくなった人がたくさんいる。

しかし、それ以前に
福島県のみならず東日本の多くの人たちが
離ればなれになり、分断されたということにより

それまで大事にしていた
人と人の「つながり」は
複雑にからみあい
お互いの意見が対立し

もうわかりあえなくなった友人
我が子の健康を心配する気持ちを
打ち明かすことができない親
離婚をするしかなくなった夫婦

避難生活中に自殺をする人もいた。

それでも、
この地にいるからには「頑張ろう」
と明るく振る舞ってくれているように見える。

しかし
暗く重い、大きな大きな試練のような現実が
いつでもどこでも目の前にある。

目には見えないものが、ふとした瞬間に現れて
その度に、自分の胸に影を落とされるような。

このフルハウスは、
どんなに試練のような現実ばかりだとしても、
どこにもない場所へ連れていってくれる
救いの時間が、あなたにもあるんだよ、
と言ってくれているような気がした。


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また訪れたときは、
柳 美里さんとたくさんお話ししたいなぁ。